第9回 |
特定非営利活動法人
日本ホスピス緩和ケア協会
雨森優子さん・緩和ケア認定看護師
日本ホスピス緩和ケア協会理事
【PROFILE】
あまもり・ゆうこ
1998年看護師資格取得。福岡県内の一般病院で末期がん患者の看護を多数経験。2000年、社会医療法人栄光会栄光病院に入職、ホスピス病棟勤務。14年緩和ケア認定看護師、17年ELNEC-Jコアカリキュラム看護師教育プログラム指導者取得。18年より日本ホスピス緩和ケア協会九州支部幹事、同看護師教育支援委員。20年より日本ホスピス緩和ケア協会理事を務める。22年に栄光病院を退職、「在宅看護センターReir」で在宅看護を学び、同年12月「Hospice mind LLC」設立。
22年間にわたり一般病院のホスピス病棟に勤務した後、在宅看護の世界に転身した雨森優子さん。病院から在宅へ働く場を移して最初の印象は、「在宅は自由だー!」だったと、感動を込めて振り返る。訪問看護ステーションで訪問業務を一から学ぶ傍ら、「Hospice mind LLC」を設立し自らCEOを務める。志を同じくする仲間とともに在宅看護に取り組みながら、中古アパートを活用したホスピスアパート「Hospice apartment Calm」の本格稼働を目指している。
――ホスピス病棟勤務が長かったそうですね。
雨森 私が看護師資格を取ったのは1998年ですが、看護学校を卒業したのはその前年で、実は一度、国家試験に失敗しているんです。1回目の国家試験に合格したら大学病院の小児科に入職することが内定していたので、もしこの時、受かっていたら、緩和ケアにこんなに真剣に取り組むことにはなっていなかったと思います。
看護師になって最初に就職したのは、福岡市にある地域密着型の一般病院で、内科・外科の混合病棟に配属されました。当時、その病棟に入院されていた外科の患者さんの多くは、がんの終末期の方々だったのですが、ほかにも多種多様な疾患の患者さんが入院されていて、残念ながら、終末期の患者さんに集中して緩和ケアを提供できる環境ではありませんでした。残された時間がわずかしかない患者さんたちに、もっと良い環境で、自由に過ごしていただけたら……そんなふうに思っていた時に、ふと頭に浮かんだのが、高校生の時のおぼろげな夢でした。
当時の私は、父方の祖父母と母方の祖父をがんで失い、がんという病気をすごく特別なものに感じていました。そんな時、ホスピス病棟という施設の存在を知り、「ホスピス病棟で働きたい」と思ったのです。その気持ちを思い出したのをきっかけに一般病院を退職して、当時からホスピスに力を入れていた社会医療法人栄光会栄光病院(福岡県志免町)に就職し、念願かなってホスピス病棟に配属されました。栄光病院ホスピス病棟には、産休、育休を挟みながら22年間在籍しました。
――そんなにも長く親しんだ病棟を辞めるのは感慨深かったでしょう。
雨森 そうですね。私が入職した時は2つだったホスピス病棟がいつしか3病棟に増え、その分、患者さんも増えて、ホスピスに対するニーズが高まっているのを感じていました。また、キャリアを重ねながら責任ある立場にもなり、勉強したいこともどんどん出てきていましたから。
そんな中、辞めると決断できた背景には、新型コロナウイルス感染症の蔓延がありました。私は、独自のアセスメントシートを用いて患者さんと家族を丸ごとケアする家族看護を実践する「渡辺式」家族アセスメント・支援モデルを、「渡辺式」家族看護研究会代表の柳原清子先生のもとで学びました。その内容に深く共感して同会福岡支部を2021年2月に立ち上げ、支部長となって普及活動もしていたほど、患者さんと家族は絶対に切り離せないものだと確信していました。
しかし、コロナによってそれが崩されました。面会を断ることを強いられる現実は、私にとっては大きなストレスでした。ほかにもいろいろなことが重なって、それまでとは違う道に進むことを考えるようになりました。そして、患者さんにとって良いと思うこと、患者さんやご家族に良い影響を及ぼすと考えられることを精一杯提供するためには自費看護サービスを提供する看護師として独立するのが一番だと考え、在宅ケアの世界に飛び込みました。
――病院を辞めてすぐに独立されたのですか。
雨森 2022年3月に栄光病院を退職した後、まずは訪問看護ステーションに就職しました。私が緩和ケア認定看護師の資格を取った時の指導者だった方が代表を務める「在宅看護センターReir(レイール)」で訪問看護を勉強させていただいたのです。レイールでは終末期に限らず様々な症例を担当しました。
その後、同年12月に、ホスピス・シェア・ハウスをつくりたいという同じ夢を持つ仲間3人で「Hospice mind LLC」(志免町。LLCは合同会社)を設立しました。ただ施設運営はすぐに実現できる事業ではないので、もう一つの事業として、保険外自費看護サービスを提供する事業所「Private nursing Calm」を23年4月に開業しています。
Hospice mindやPrivate nursing Calmでは、「訪問看護」でなく「在宅看護」という言葉を使っています。訪問看護は保険内サービスというイメージが強いからです。勤務形態をパートに変え、レイールでの訪問看護も続けています。
在宅の仕事を始めて最初に実感したのは、在宅は自由だ! ということでした。私はずっとホスピス病棟勤務でしたから、一般病棟よりは患者さんの自由度が高い環境にいたのですが、在宅医療の現場はその比ではありません。
病棟では患者さんが床に座り込むだけで医師に診察依頼してインシデントレポートを書いたり、感染対策に躍起になったりしていたのが不思議に思えるほど、皆さん、その方らしく自由に暮らしておられます。食べたい時に食べたいものを食べ、眠くなったら寝る。足腰の弱い方も気ままに外出したり、床を這って移動したりする姿など、病院では見すごされません。患者さんたちのそんな様子を知ってしまった今、もう病棟には戻れないなと思っています。
病院勤務時代は、家に帰れない患者さんをサポートしたいと考えていましたが、在宅看護師になってからは発想の仕方が大きく変わり、どうしたら希望する場所でよりよく過ごしていただけるかを、強く考えるようになりました。
――Hospice mindでの看護サービスを、自費で提供することにした理由は何だったのでしょうか。
雨森 より自由に、利用される方のニーズに沿える関わりを持ちたいと思ったからです。その方の生活に必要なサービスを看護師の視点を生かしながら幅広く提供できたらと思っています。これまで、当社から車で1時間以上かかるところにお住まいのご利用者さんに対する放射線治療の同行や、終末期せん妄の激しい方の長時間の見守り、それから少しの間だけでもご自宅で過ごしたいと希望された、緩和ケア病棟入院中のご利用者さんに半日付き添ったりと、様々なご要望にお応えしてきました。
入院中のご利用者さんの他科受診の付き添いなど、各種訪問サービスの隙間の時間の対応を依頼されることもあります。対象や地域、料金など、ご利用者さんの負担ができるだけ重くならないように一つひとつ考えながら進めています。この活動が軌道に乗ったら、クラウドファンディングなども活用して資金を集め、低所得者の方々にも同様の看護サービスを届けられるようにしていきたいと思っています。
――会社設立の第一の目的であるホスピスアパートとは、どういうものですか。
雨森 老若男女問わず入居された方同士が助け合い、認め合えるような場所づくりを目指しています。具体的には、アパートを一棟借り、一人で暮らすことに何かしらの不安を感じておられる方々に入居していただきます。そこに私たち看護師が定期的にお訪ねして、生活のサポートをさせていただく計画です。入居のほか、病院から退院する前に自宅での生活をリハーサルする場や、介護の必要な方のショートステイ施設としての利用も可能です。
施設の名前は「Hospice apartment Calm(ホスピス・アパートメント・カルム)」です。このプランは、私たちがイメージしているのと同じような施設をつくりたいと考えておられた不動産業者さんに出会ったことで、実現に向けて動き出しました。この業者さんは当初、建物は用意できる、でも運営や人材集めの方法がわからない、とおっしゃっていました。
一方、私たちは、ホスピスケアを得意とする看護師が3人揃い、ホスピス・シェア・ハウスをつくりたいのにその場所がない、という状態でした。業者さんと出会ったことで、お互いに補完し合う関係性が生まれたのです。そして中古の2DKアパートをご提供いただくことになりました。
現在は一般居住者の方々が暮らしておられますので、Hospice apartment Calmとしての稼働はまだ先ですが、アパート名を「Calm」に変えてくださるなど、少しずつですが前進しています。
――福岡の地域包括ケアの状況を教えていただけますか。
雨森 福岡県は、全国的にもホスピスや緩和ケア病棟が多い地域として知られています。そのためか、在宅緩和ケアはあまり進んでいないようで、最期までご自宅で過ごす方の割合も全国平均より低いのが現状です。そんな中、訪問看護ステーションは増えてきていますし、これから在宅医療・ケアが進む可能性は高いと思っています。
当社もいろいろな事業所と連携していますが、事業所それぞれに特徴があり、専門職のスキルにも幅があります。今後は皆で協力して地域全体の底上げをしていくことも課題と感じています。
――雨森さんは、日本ホスピス緩和ケア協会理事で九州支部幹事でもあり、同看護師教育支援委員会、在宅緩和ケア委員会の委員なども務めておられます。
雨森 栄光病院ホスピス病棟時代の先輩が務めていた役職を引き継ぎました。地域の抱える課題を捉え、その解決に努めるのが役員の務めと思っています。看護師教育支援委員会は元気なメンバーが揃っていて、毎年行っている「ELNEC-J(The End-of-Life Nursing Education Consortium-Japan)コアカリキュラム看護師教育プログラム」などをより楽しく運営できるように、ワイワイしながら考えています。
在宅緩和ケア委員会は、私自身が参加したいと思っていた委員会です。日本ホスピス緩和ケア協会は病棟中心に始まったので在宅医療関係者がまだ少なく、中でも訪問看護ステーションの入会率が低い状況です。今後は、訪問看護ステーションなどにもどんどん入会していただけるように、協会の在宅部門を魅力あるものにするべく努力していきたいと思っています。
日本ホスピス緩和ケア協会理事になって4年目になりますが、私以外の理事の方々は高名な先生方ばかりなので、理事会に参加すること自体がすごく勉強になります。協会から国など政策の場に提言を行うことで、在宅緩和ケアの現場がより良くなっていくと思うと、本当に意義深い活動をさせていただいていると感じます。
JHHCAの存在は以前から存じ上げていてその動向に興味を持っています。「日本在宅ケア・サミット2023」には私もリモートで参加しました。この時のシンポジウム「ほんとうに叶えていますか 思い・願い・望み」のシンポジストの方々のお話は、在宅看護初心者である私にとってとても参考になりました。
――在宅看護の実践、会社の運営、団体活動とお忙しいですね。
雨森 いえいえ、当社で担当しているご利用者さんはまだ少数ですし、アパートの運営もこれからですから、自分の時間も取れてはいます。休みの日には、中2の娘との共通の趣味である御朱印集めに2人で神社に出かけたり、大好きなMr.Childrenのライブツアーを追いかけたり、俳優の杉野遥亮君の“推し活”をしたりしています。独立した今、これからどうなるのか不安はありますが、娘をはじめ周りの方々から元気をもらいながら、仲間と一緒に頑張っていこうと思います。
取材・文/廣石裕子