第7回 |
一般社団法人
全国在宅療養支援歯科診療所連絡会
坂井謙介さん・歯科医師
全国在宅療養支援歯科診療所連絡会理事
【PROFILE】
さかい・けんすけ
1999年長崎大学歯学部卒業。2004年名古屋大学医学部歯科口腔外科(顎顔面外科学講座)大学院修了。名古屋大学医学部在籍中に愛知県がんセンター頭頸部外科部(歯科)や、名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院歯科などに勤務。2008年坂井歯科医院院長。日本在宅医療連合学会東海支部会小児在宅部門委員、名古屋市の昭和区歯科医師会専務理事、いりなか商店街発展会会長などとしても活躍。
8020運動を牽引した歯科医師の1人として知られる父、坂井剛さんの背中を見て育ち、歯科の道に進んだ坂井謙介さん。仕組みづくりが得意で、がんセンター時代にはがん患者に口腔ケアを、リハビリテーション病院時代には摂食嚥下リハビリを、システマティックに提供する土台づくりを担ってきた。自らのクリニックでは、「ゆりかごから墓場まで」をモットーに、あらゆる年代の人々に多様な歯科医療を提供する環境を構築し実践している。商店街会長の顔も持ち、地域住民の健康づくりにも力を注いでいる。
このユニフォームは、新型コロナ感染症の流行で予定していたハワイ旅行をキャンセルし、「せめて気分だけでも」と購入した。子どもの患者など、よりフレンドリーに接したいときに着用する
――お祖父様もお父様も歯科医師とのこと。歯科の道に進んだのは自然な流れだったのでしょうか。
坂井 家業を継ぐという意識はもちろんありました。また、子どもの頃に、愛知学院大学歯学部の先生が東南アジアで口唇口蓋裂の手術を行っている様子をテレビで見て、歯医者というのは歯を削るだけでなくいろいろな活動ができるのだと感じたことを今でも鮮明に覚えています。歯学部を目指そうと決めた大本には、この先生の印象があったのだろうと自分では思っています。
歯学部時代は、まさに学生生活を謳歌しました。部活はサッカー。歯学祭の実行委員も務めました。長崎大学歯学部のホームページを立ち上げたのも、実は私です。
――卒業後のご経歴を教えてください。
坂井 名古屋大学医学部歯科口腔外科の大学院に入り、皮膚科領域の再生医療の研究に取り組みました。在学中には毎年、海外の学会に参加していましたし、この技術を応用してガーナで流行していた風土病の治療を行うプロジェクトに参加したこともあります。
大学院修了後も大学に残り、医局人事でいくつかの医療機関に勤務しました。臨床的な転換点になったのは、愛知県がんセンターや、名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院で、有病者の歯科医療に携わった経験でした。
愛知県がんセンターでは全国的にもまだ珍しかった、がん患者さんの口腔ケアに取り組みました。当時は、がん患者さんの口腔管理の重要性はほとんど理解されておらず、むしろ白血病の患者さんなどの場合、ブラッシングすると歯肉に傷ができ、そこから感染するからと、歯磨きを禁止されていたような時代でした。そんな中、孤軍奮闘して口腔ケアのチームを立ち上げ、術前の口腔ケアをルーチン化する仕組みを定着させました。がんセンターに勤務した10年ほどの間には、他県のがんセンターの先生方と一緒に、がん患者さんの口腔ケアに関する研究も推進し、講演活動にも力を注ぎました。
一方、名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院では、急性期病院からの退院が決まって在宅に移行する前の患者さんを数多く診察しました。ここでは歯科衛生士さんや看護師さん、言語聴覚士さん、お医者さんなどと接する機会も多く、一緒に勉強させてもらいました。そして、脳血管疾患の患者さんに対してルーチンで口腔診査をする仕組みを作りました。
どちらも大変な仕事でしたが、誰もやっていない分野に一歩踏み出し、ないものをつくり出していく作業は楽しく、やりがいがありました。私が立ち上げた口腔ケアや摂食嚥下リハビリの仕組みが今も発展しながら生きているのは誇らしいです。
――実家の歯科医院を継がれたのはいつですか。
坂井 2008年です。名古屋大学医学部に在籍中で大変忙しい時期でしたが、以前から病気がちだった父がついに倒れてしまったのです。息子の私が言うのも何ですが、父はある意味すごい人で、愛知県歯科医師会専務理事、日本歯科医師会常務理事などを歴任し、8020運動の生みの親の1人としてこの運動を広めるべく全国を飛び回っていました。私が大学生だった時にすでに「これからは摂食嚥下障害を歯科医師が診る時代が来る」と言っていましたし、その後間もなく訪問診療も開始しています。
「ゆりかごから墓場まで」をモットーに全世代に歯科医療を提供すること、8020運動を推進し、口腔の管理を通じて全身の健康づくりを進めることは、父から受け継いだ当院の理念です。その理念を実践するために、STや管理栄養士もスタッフとして雇用しています。
――訪問診療はお父様の代からの取り組みなのですね。
坂井 近所の高齢者施設に父が診察に行くようになったのが始まりです。私が院長になった頃は週1回程度でしたが、今では外来と訪問が半々くらいです。妹である林志穂副院長が外来を、私が訪問をメインに担当し、8人の勤務医がそれらを手伝ってくれています。最初はあくまで業務の一環として訪問診療をしていましたが、今では患者さんのお宅に行くのがとても楽しみになりました。医師、ST、管理栄養士、ケアマネジャーなどとコミュニケーションをとり、患者さんの健康を一緒にサポートしながら、人間同士としていろいろなお話もできます。そんな活動が自分には合っているようです。
当院で訪問診療を行っている患者さんは200〜300人。多くは一般的な高齢患者さんですが、私はその中でも比較的難しい患者さんを診ることが多いです。ALSや重症心身障害児・者など疾患や障害が重い方、終末期の患者さん、対応に苦慮する患者さんなど難しさはいろいろです。
――坂井さんが考える歯科訪問診療の意義をお話しいただけますか。
坂井 一番重要なかかわりは、いわゆる食支援ではないかと思います。食べられない状態から食べられる状態まで持っていったり、食べられる状態をできるだけ長く維持したり。患者さんの生活環境の中で個性を重視しながら、多職種チームがサポートします。食べられるようになった時の患者さんやご家族のうれしそうな表情といったらありません。
ある50代の患者さんは脳出血で入院したのを機に経管栄養となり、主治医から「今後は立ち上がることも口から食べることも、笑うことも難しい」と言われて退院されました。その後、私たちが在宅でかかわり3〜4年、今ではやわらかめの普通食が食べられるまで回復されています。話したり、自由に動いたりはできないのですが、食事ができるようになったことで元気になり、ときどき笑顔も見られるようになりました。
連携先の医師から紹介された医療的ケア児のお子さんは、当初、胃ろうだけで栄養を摂っておられました。歯科治療と口腔ケアを提供しながら全身麻酔下での抜歯をコーディネートしたり、口内の粘膜を噛まないようにマウスピースをつくったり、さまざまな対応をして診療を続けています。また、経鼻経管栄養の医療的ケア児が口から食べられるようになって、その初めての経口摂取をサポートしたこともあります。
――かなり難しい状態の患者さんでも、口腔機能が回復する可能性はあると考えて良いのでしょうか。
坂井 そうですね。ただし、その可能性を引き出すためには、専門職の技術だけでなくご本人の意思、ご家族の熱意、医療やケアを受け続けられる経済力などいくつかの条件がうまく組み合わさる必要があります。これらが揃った時に大きな力を発揮できるのは、在宅医療の素晴らしさといえます。ただ、すべての条件が揃う患者さんは多くはありませんし、支える側の高齢化の問題もあります。そんな中、今後どのようなアプローチができるのか、仲間と議論を重ねているところです。
――「医療的ケア児等コーディネーター」の資格をお持ちですね。
坂井 はい。医療的ケア児等コーディネーターは、2021年9月に施行された「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」(医療的ケア児支援法)のもとで都道府県などが中心になって養成を推進している職種です。実際にコーディネーターとして仕事をするのは社会福祉士などが主で、歯科医師である私は、資格を取る過程で学んだことを臨床に応用するかたちで生かしています。
例えば、医療的ケア児の内視鏡検査を在宅で行うとします。通常の在宅医療であればそれだけのことですが、医療的ケア児等コーディネーターの視点や知識を持つ私は、学校の先生や施設など関係先の担当者を患者さん宅に集め、検査の過程や結果を共有します。こうした取り組みがその患者さんの支援全体に生かされていくことを目指しています。
――全国在宅療養支援歯科診療所連絡会(HDC=Home Dental Care=ネット)やJHHCA(日本在宅ケアアライアンス)ではどのような役割を担っておられるのですか。
坂井 2024年2月23日に愛知県で開催予定の、HDCネット主催「第3回HDC講演会」の実行委員を務めています。テーマは「暮らしと生きがいを支える食支援」。多くの方の参加をお待ちしています。こうした連絡会や各種学会は、信頼性の高い情報を共有する場、また、自分たちの研究発表の場として重視しています。
JHHCAでは、「小児/医療的ケア児者のための地域包括ケア検討会」に入れていただいています。小児の在宅ケアの推進は全国的な課題ですので、少しでも力になれたらと思います。
JHHCAのように目的を同じくする団体が1つにまとまると、政策に対する提言などもしやすくなるなどメリットが大きいと思います。ただ多職種であることに加え、職能団体と学会が加盟しているため、団体数が多くなりますが、活動強化のためにも団体間の連携が保てるような工夫も必要になりますね。
――かなりお忙しいご様子ですが、息抜きはできていますか。
坂井 漫画が大好きで、時間を見つけては読んでいます。「目指せ漫画喫茶」を医院の裏コンセプトにしているほどです。私は10年余り前から、「いりなか商店街発展会」という地元商店街の会長を務めているのですが、以前、この商店街に4軒あった漫画喫茶が全部なくなってしまい、その代わりになろうと待合室に漫画コーナーをつくりました。患者さんから寄付していただいたものを含めて蔵書はゆうに1000冊を超えています。最近の作品の中で特に好きなのは『キングダム』(原泰久著)です。基本的に、主人公が修行して、仲間をつくりながら強くなっていく物語に惹きつけられます。
中学高校時代の仲間とキャンプやスキーに出かけ、くだらない話をするのも大好きで、忙しい中でもそのための時間は必ず確保しています。体づくりはジムでのトレーニングとテニス。診療時に良い姿勢を保ったり、訪問診療に出かける体力を維持したりするためにも、運動は欠かせません。
――まだまだやりたいことがありそうですね。
坂井 今は、いりなか商店街発展会会長としての仕事をより重視しながら、歯科医師として外来や在宅医療にも引き続きしっかり取り組んでいます。少子高齢化や人口減少が進み、医療や介護の担い手不足が深刻です。その解決のためにも元気な人を増やしたいのです。市民の健康づくり活動は小規模のほうがやりやすく、その点、いりなか商店街発展会は中学校区で2学区分くらいの範囲ですから、ちょうどいいと思っています。
私が会長になった頃、20〜30店舗しかなく閑散としていた商店街は、現在までに90店舗に増えて活気に溢れています。医療機関や高齢者施設、フィットネスジム、整体など体づくりに関連する施設、食事を提供する施設も増えているので、うまく連携して、地域住民の方々が末長く元気に暮らし、皆さんが理想とする“ピンピンコロリ”を良いかたちで実現できる地域をつくっていけたらと思います。“健康寿命延伸プロジェクト”とでも言いますか、いわゆる社会的処方が日常生活に溶け込んでいるようなイメージの街づくりを、会長の集大成として進め、若い世代に引き継げたら幸せです。
取材・文/廣石裕子