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一般社団法人

日本介護支援専門員協会


高良清健さん

日本介護支援専門員協会 倫理委員会委員長・沖縄県介護支援専門員協会会長

 

【PROFILE】

たから・せいけん

2002年沖縄国際大学文学部社会学科卒業。同年社会福祉士資格を取得し医療法人白寿会在宅介護支援センターに就職。2007年介護支援専門員(ケアマネジャー)資格取得。2008年沖縄県介護支援専門員協会理事に選出。2012年同副会長、2016年より同会長を務める。


人とかかわり、地域とつながれば困難な課題もなんとかできる

沖縄生まれの沖縄育ち。「人とかかわる仕事がしたい」との思いから、社会福祉士を志し、実務経験を重ねてケアマネジャーになった。新人時代から、先輩に促されるまま沖縄県介護支援専門員協会の活動にも参加するようになり、39歳で会長に。現在は、地域の中核病院が運営する居宅介護支援事業所と地域包括支援センターの統括管理者として、また一ケアマネジャーとして、一人ひとりの利用者の声に耳を傾け、蓄積した情報やつながりを生かして課題解決、生活支援に努めている。「この先の展開を想像しながらあれこれ考え、プランを練るのがこの仕事の醍醐味」と、ケアマネジャーの仕事を楽しんでいる。



ケアマネジャーの仕事は、人が好きな自分にピッタリ!

――ケアマネジャーになったきっかけを教えてください。

高良 人とかかわる仕事がしたいと思って社会福祉士になり、在宅介護支援センターで働き始めたのですが、当時の職場の先輩にケアマネジャーが4名いて、その方々の仕事を見ているうちに「ケアマネも楽しそうだな」と思うようになったんです。それで、実務経験5年の要件をクリアした翌年に試験を受けて、資格を取得しました。

 

――どんなところが楽しそうだったのでしょう。

高良 いろいろな職種を結びつけるコーディネーターとして多方面につながりを持ち、それを生かして介護や支援が必要な高齢者の皆さんの生活をサポートしている様子が魅力的でした。また、自分のスキルアップという意味でもケアマネジャーとして働く道を選びました。あれから16年になりますが、本当に自分に合っていると感じています。知識の幅も人脈も広がりました。

 

――現在の職場について教えてください。

高良 沖縄県豊見城(とみぐすく)市にある社会医療法人友愛会豊見城中央病院のケアプランセンターです。ここに所属するケアマネジャーは私を含めて11名で、毎日賑やかに情報交換しながら働いています。豊見城中央病院には、回復期病棟、地域包括ケア病棟、緩和ケア病棟などがあり、少し離れた場所にはグループ病院である友愛医療センターもありますので、法人としては急性期から在宅までを網羅しています。私自身は豊見城市を中心に、那覇市南部、糸満市などの利用者さん17名を担当しています。ほかに地域包括支援センターも統括管理しています。

 

――豊見城市はどんなところですか。

高良 那覇市の南側に隣接する沖縄本島南部の市で、那覇のベッドタウンといえます。人口6万5000人余りのうち1万3000人弱が高齢者で、高齢化率は19.7%と、沖縄県の中でも低いほうです。その分、若い世代が多く、また、県外から移住してくる方が多いのも特徴です。子ども世代が先に移住して、そこにご両親を呼び寄せるようなケースも結構あります。

 

――地域包括ケアの進捗具合はどうですか。

高良 県内では大きな都市になりますので、医療機関、介護事業所、訪問系サービス、通所系サービス、その他民間施設も含めて比較的充実した地域といえます。ただ、介護人材の不足は問題になっています。ケアマネジャーとして仕事をしていても、たとえば訪問看護の調整はすぐにできるのに、訪問介護の調整に難航するケースが増えています。背景には、介護職の高齢化の問題があって、50代、60代の職員でも若手と呼ばれるような状況です。少しでも早く、若い人材が確保できるよう対策を考えなければと思います。あとは、高齢者の移動の足が確保しにくい、特に通院が困難な人が多いのも大きな問題です。巡回バスなど移動手段をもっと増やせるように、地域ケア会議などで協議を重ねたり、行政に働きかけたりしているところです。


仲間と一緒に歩みながら、自らの役割、方向性を再認識

――沖縄県介護支援専門員協会の会長を務めておられます。いつ頃、どのような経緯で会長職に就かれたのですか。

高良 会長就任は2016年、39歳のときです。私はケアマネジャーになった2007年から協会の支部活動をしていました。その1年後、先輩から、「高良、行って来い!」と言われて、何もわからないまま県の協会に入ったのです。2012年に副会長になり、その流れで気づいたら会長になっていました(笑)。県内で活動するほか、九州・沖縄ブロックや、日本介護支援専門員協会の活動にも参加しています。

 

――職能団体として活動する意義はどのようなことだと思いますか。

高良 まず、情報共有の意義は大きいと思います。同じ職種のたくさんの仲間と勉強会を開いたり交流したりしていると、常に新しい情報に触れることができます。沖縄と他県を比較して、良いところ、悪いところなどに気づけるのも利点です。また、ケアマネジャーは一般に仕事が煩雑で忙しいのですが、そんな中で、みんな同じような課題に直面しながら頑張っているとわかるだけでもすごく励まされ、モチベーションが上がります。事例の共有などを通して様々なケースを知るうちに、自分自身の対応について「これで良かったんだ」と確認できることも多々あります。そういうことの繰り返しの中で自分の役割を再確認でき、仕事の方向性が定まってくるように感じています。

 

――ケアマネジャーとして心がけていることはありますか。

高良 とにかく利用者さんのお話をよく聞くことです。いろいろな業務に追われ、スケジュールが詰まってしまうことも多いですが、利用者さんと会うときはけっして形式だけの訪問にはせずに、しっかり向き合うようにしています。利用者さんに丁寧に接することが最も大事だということは、私がメンターとして尊敬している、沖縄県介護支援専門員協会前会長の大城則子さんに教えていただきました。

 

――支援が難しい方も増えていると聞きます

高良 ほかの地域もそうかもしれませんが、一人暮らしで身寄りのない方、重い病気や障害をお持ちの方、いわゆるゴミ屋敷で暮らす方、明日にも亡くなりそうな段階になって在宅に移行する方なども少なくないのは事実です。ただ、私自身はそれを困難とは思いません。誤解を恐れず言うと、そういうケースを相談されると少しワクワクするんです。誰に声をかけて、どういうふうに調整しようかと、あれこれ考えプランを練る、自分なりにこの先の展開を考えて対処するのが好きです。

 

――インフォーマルサービスも重要になってきていますね。

高良 高齢者の方々が利用できるようなサービスはできる限り把握するようにして、ニーズに合わせて組み込んでいます。また、たとえば清掃業者さんを賃貸住宅の管理会社さんから紹介してもらうなど、必要なサービスを手繰り寄せていくようなこともよくします。あとは地域の力ですね。あるとき、私が担当していた利用者さんのお宅の屋根が台風で剥がれてしまったのですが、私がリフォーム業者さんを探しているほんの2、3日の間に、近所の方や地元の青年会の人たちがきれいに直してくださったことがありました。これには驚き、感動しました。豊見城市にも「ゆいまーる」、すなわち沖縄独特の助け合いの精神があることを実感しました。

 

――先ほどおっしゃった、沖縄の悪いところというのは?

高良 “なあなあ”なところでしょうか(笑)。人間同士の付き合いにおいては良い面でもあるのですが、プロとして仕事をするときにそれが出ると、本来の業務を逸脱してしまうこともあります。たとえば訪問看護師が部屋の片付けや買い物をしてくれたり、ケアマネジャーが通院の付き添いを買って出たり。優しいからこその行動ですし、介護職不足のためやむを得ない面もあるのですが、ちょっと気になるところです。

会長を務める沖縄県介護支援専門員協会の仲間たちと
会長を務める沖縄県介護支援専門員協会の仲間たちと

資格や肩書を超えた人間同士の関係こそ大きな力

――JHHCA(日本在宅ケアアライアンス)はご存知でしたか。

高良 はい、存在だけは…。今回、あらためてウエブサイト、特に「FACE of JHHCA」のバックナンバーを読ませていただいて、刺激を受けました。在宅ケア関連の団体などに所属して一生懸命活動している方々は、きっと、基本的に人とかかわることが好きなんじゃないでしょうか。そういう方々のネットワークに、自分も入れたらいいなと思います。様々な職種が力を合わせることは、今後ますます重要になってくると思います。支援が必要な高齢者は確実に増えていきますし、医療、介護、福祉、そして市民や地域の力、すべてがなければその方々の生活を支えていくことはできないでしょう。

 

――職種間の壁のようなものを感じたことは?

高良 ケアマネジャーになりたての頃は、相手の資格や肩書に委縮してしまうことも正直ありました。でも、いろいろな方とかかわっているうちに、コミュニケーションさえしっかり取れば、ドクターも看護師さんも薬剤師さんも、同じ人間として付き合うことができるとわかってきました。おかげさまで医療職の方々も、ケアマネジャーの仕事をよく理解してくださるようになり、いまでは患者さんが退院するときや、在宅で何かあったときにはすぐケアマネジャーに連絡してくださるようになりました。ケアマネジャーの役割が、地域に浸透してきたことを実感できるようになったのは、とてもうれしいです。

 

――「要介護者の生活はケアマネジャーさんの腕次第」のような言い方をされることもあります。

高良 ケアマネジャーの質が問われていることはひしひしと感じます。私たちも研修会を重ねるなど質向上に向けて努力を続けており、確実に成果は出てきています。そして、やはりコミュニケーションを大事にすること。制度改正が複雑で、情報収集が追いつかないこともあります。そういうときは詳しい人に聞いて助けてもらう、そして次につなげる、という姿勢を大事にしたいと思っています。


小学生の指導を通して考えた、「伝える」と「伝わる」の違い

ミニバスケットチームの指導者の顔も持つ
ミニバスケットチームの指導者の顔も持つ

――仕事以外の時間はどのように過ごされていますか。

高良 バスケットのシニアチームに所属して、週1回、平日の夜にプレーを楽しんでいます。また、地元の小学校のミニバスケットチームのコーチもしていて、土日は子どもたちへコーチングをしたり、大会に出たりしていることが多いです。

 

――高齢者の支援とは別世界ですね。

高良 はい。ただし、人とかかわるという意味では、私にとっては同じともいえます。チームスポーツなので、メンバーそれぞれの役割分担を尊重しながらチームワークをつくっていくことや、厳しい練習を一緒に乗り越えていくような面は、多職種連携にも通じるように感じます。コミュニケーションという意味では、小学生相手に指導をする中で、「伝える」と「伝わる」の違いを実感し、どうすればうまく伝わるのかを考え続けています。これがケアマネジャーとしての仕事の場面でも生きているように思っています。仕事とバスケット、両方があることで良いリズムができています。

 

――最後に今後の展望をお願いします。 

高良 今まで通り、人とのつながり、地域とのつながりを大切にしていこうと思います。人とかかわることが好き、この思いさえ持ち続ければ、どんなことも何とかなると思っています。



取材・文/廣石裕子