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一般社団法人

全国薬剤師・在宅療養支援連絡会


小林輝信さん

全国薬剤師・在宅療養支援連絡会 事務局長

(J-HOP: Japan home care supporting pharmacist liaison meeting)

 

【PROFILE】

こばやし・てるのぶ

1998 年北里大学薬学部卒業。一般の薬局に勤務しながら2003 年より在宅医療に取り組み始める。2021 年、合同会社Sparkle Relation を設立し、フォーライフ薬局を開業。研修認定薬剤師、健康サポート薬剤師、アカデミック・ディテーリング認定薬剤師、スポーツファーマシスト、MBA、バスリエ(お風呂のソムリエ)などの資格も持つ。


手探りで訪問を始めて20 年“患者さんの満足”を追求し続ける

薬剤師になって5年目の2003 年、27 歳のときに勤務していた東京都町田市の薬局で、全くの単独で訪問活動を始めた小林輝信さん。地域で在宅医療に取り組む医師や介護関連事業所への挨拶回りからはじめ、依頼に応じて患者宅を訪ねながら、専門職以外の人も含め

た幅広い連携を進めてきた。2010年からはチェーン薬局の在宅専門部門立ち上げを指揮し、11年間運営。そして2021年6月、フォーライフ薬局を開業。在宅医療の理想を追求しつつ、後進の育成にも力を注いでいる。


27歳のとき単独で在宅医療に着手。チェーン薬局では在宅専門部門を創設・運営

――まずは在宅医療を始めたきっかけからお話しいただけますか。

小林 私は大学卒業後、町田市内の一般的な薬局に就職しました。実家が内装会社を経営していたこともあり、自分もいつかは経営者になると思っていたので、就職した頃から、一従業員というより経営の視点で業務をとらえ、率先して業務改善などを行っていました。在宅医療に着目したのは、2つめの会社に就職した27歳の頃です。日々、暇な時間が少なからずあることに疑問を感じ、店舗の売上を伸ばすためにも、この時間を有効利用する方法を考え始めました。そのとき閃いたのが、在宅医療だったのです。

 

――売上アップのための自主的な活動としてのスタートだったのですね。

小林 社長の許可はもちろん得ましたが、すべて自分で考え、一人で実行しました。まずは情報収集から始めて、介護事業所やケアマネジャーの存在を知っては挨拶に行き、そこで紹介された患者さんを訪問し……という感じで、少しずつ地域に出ていくようになりました。最初は同僚の仕事に影響しないように、患者さんのお宅には、お昼休みや薬局の仕事が終わってから行っていました。そのうちに売上が取れるようになると社内も協力的になりましたが、訪問活動を行うのはもっぱら私だけ。結局、33歳まで頑張って、退職しました。

 

――次に入られたのが、地域密着型のチェーン薬局だったのですね。

小林 東京・神奈川・埼玉を中心に、当時50〜60店舗をチェーン展開していた徳永薬局です。在宅専門部門の立ち上げのために呼ばれ、組織づくりと運営、情報共有のためのシステムづくり、人材育成などを任されました。意識したのは、メンバーに早い段階で必ず終末期の患者さんを担当させることです。患者さんの最期を支えるために、在宅チームの中で薬剤師として、さらに一医療人として何をなすべきかを考え、気づき、患者さんから学んでもらうように努めました。

 

――終末期を重視する理由はどんなことですか。

小林 私は終末期に向き合ってこそ在宅医療だと思っています。薬剤師として外来対応の仕事ばかりしていると、人の死を目の当たりにすることがありません。しかし在宅では、人は必ず死ぬという事実を突きつけられます。すると「今」を疎かにできなくなるのです。人がどのように亡くなっていくかを体験として知ることは、終末期以前の在宅医療にどう関わるかのヒントにもなります。

 

――在宅医療に取り組む薬局が今以上に少なかった時代に、企業の中に在宅部門をつくり、メンバーを率いるのは難しかったのではないですか。

小林 皆、初めてのことで戸惑いもありますから、確かに苦労はありました。やる気のある人材の確保が重要と考え、採用面接で、「夜中に患者さんのもとへ駆けつけられますか」と質問し、「行けます」と答えた人だけを採用していた時期もありました。とにかく、在宅医療は持続性がなければ意味がありませんから、人材も含めて、持続的に提供するための環境づくりを第一に考えていましたね。


長年親しんだ町田市で開業。目指すは質の高い在宅医療の提供と人材育成

――チェーン薬局の在宅専門部門のトップとして充実したお仕事をされていた中、開業に踏み切った目的は何だったのでしょう?

小林 私は「自宅で過ごしたい」という患者さんの思いに応えるために在宅医療が必要だし、質の高い在宅医療を提供するためには、薬学の基本を忠実に実践することが大事だと思っています。そうやって患者さんのために良い医療を提供した結果として報酬がついてくるという考え方なのですが、組織が大きくなってくると、こういう考え方を全員に浸透させるのはどうしても難しくなってきます。だったら独立して、また一から人材育成をしてみようと思いました。

 

――開業場所の町田市原町田との縁は?

小林 町田市で在宅医療を始め、その後も町田市、相模原市周辺で活動してきましたので、連携先がこの地域に集中しているのです。だから、この辺りならどこでも良かった。開業物件に求めた唯一の条件は、クリーンベンチを置けること。これをクリアできたので決めました。

 

――町田周辺の地域包括ケアの状況はいかがですか。

小林 結構進んでいると思います。町田市は元々、認知症の人へのサポートや障害者福祉などに手厚い自治体ですし、地域の医療介護福祉関係者の集まりで、話し合いや飲み会、必要に応じて行政への提言なども行う「町田市介護交流会」も活発です。多い時には約500人が集まるほどの規模になり、床屋さんやお弁当屋さんなど、市内のいろいろな人たちも協力してくれています。

 私はこの会に実行委員の一人として関わってきたこともあり、この地域のほとんどの関係者と顔見知りになれました。この関係を活かして、従来から活動の主軸に置いている“患者さんの満足”を、理念を同じくする仲間とともに追求していきたいと思っています。


初めてのお看取りで患者や家族の満足を実感し、在宅医療にのめり込む

――ところで、「これで在宅医療にはまった!」といった特別な出来事などはあったのでしょうか。

小林 私にとって初めての在宅でのお看取りとなった、肝臓がんの女性患者さんとの出会いが大きかったと思います。私は主にペインコントロールを担っていたのですが、余命1カ月とされているその方から、あるとき、「ワイン飲んでもいい?」と聞かれたのです。思いがけない質問でした。在宅医療を始めてまだ1、2年というときで、どうにも答えられず、一旦帰って主治医に相談したんです。そうしたらすごく怒られて。「あの患者さんが大好きなワインを飲めずに後悔して亡くなったらお前のせいだ」と言うんです。「じゃあ、いいんですね?」と言うと、「自分で責任もって考えろ」と。それで考えに考えて、次に訪問したときに、「本当はダメだけど、味わいたいですよね。どうぞ」という話をしました。結局、その方は赤ワインをほんの2、3滴、口に含んだだけだったそうですが、後日、「本当に美味しかった。それだけで満足」とうれしそうにおっしゃいました。そのとき、「これが在宅だ」と感じました。主治医に報告すると、「それでいい。自分で考えて、患者さんが喜ぶことをサポートすればいいんだ」と言ってくれました。

 

――まさにその人らしい最期を支えられたのですね。

小林 人が亡くなるとき、周りの人はおいおい泣くものだと勝手に考えていたのですが、全然違う死があることを知りました。ご本人も満足し、ご家族も、「家で看取れてよかった」とニコニコしている。そこからのめり込みました。元はと言えば売上アップを目指して始めた在宅医療でしたが、職域を超えて医療人として関われることに気づきました。患者さんやご家族に手を握られて「ありがとう」と言われる感動。そんな体験は薬局で処方せんを待っているだけでは絶対にできません。

 

――熱心な医師との出会いも大きかったようですね。

小林 先にお話しした肝臓がん患者さんの主治医だった先生とは、ほかにも多くの患者さんの在宅医療でチームを組み、ディスカッションを重ねました。薬に関する意見や患者さんの実情などは遠慮せずにぶつけました。患者さんを思う者同士、激しい言い合いになることも多々ありましたが、深く考えさせられたし、勉強にもなりました。

 

――在宅医療が辛くなったり、仕事から離れたいと思うことはないですか。

小林 特にありません。今、平日は毎日23時頃まで薬局で仕事をして、土日祝日も平日の残務処理に追われていますが、全く苦になりません。私にとって、自分の薬局を持ったことは、大きいおもちゃを手に入れたのと同じこと。このおもちゃを自由に使って、在宅医療をはじめやりたいことをやりたいようにできるのが楽しくて仕方ない感じです。

あとは、他業界の人と3、4人でチームを組んで新しいビジネスを考え、相手を見つけてプレゼンをするのが大好きで、今も、葬儀業界のシステム化、カタログギフトの活用拡大など複数のプランを進めています。プレゼン資料は主に夜中につくります。この時間がまた楽しくて、良い息抜きにもなっています。忙しいことは忙しいですが、好きなことをストレスなくできています。


仲間に出会える、最新の知識・技術を共有できる、「j-HOP」「JHHCA」の魅力

――小林さんは、全国薬剤師・在宅療養支援連絡会(j-HOP)でも活動され、現在は事務局長を務めておられます。j-HOPとの出会いはどんなものだったのですか。

小林 j-HOPが設立されたのが2010年。私はその2、3年後に入会したと記憶しています。その頃、在宅医療関連の目ぼしいセミナーを見つけては参加していたのですが、そこで質問したり意見を言ったりしていたところ、j-HOP創設メンバーの方々から、「元気いいね。一緒にやらない?」と声をかけていただきました。ほどなくして南関東ブロック(千葉、東京、埼玉、神奈川)の地区ブロック長になり、その後、j-HOP副会長も経験させていただいて、今に至ります。

 

――j-HOPに参加する良さを教えてください。

小林 「自分のやっていることは間違っていない」と思えることが大きいですね。在宅を熱心にやっている医療職は、地域で浮いてしまうことが今でも珍しくありません。でも、j-HOPでは、自分と同じような思いで、同じような活動をしている仲間に出会うことができます。日進月歩の知識や技術を吸収したり、珍しい症例を共有したり、経験豊富な先輩に相談したりもできます。

 

――JHHCA(日本在宅ケアアライアンス)についてはどんな感想をお持ちでしょうか。

小林 多職種がつながるという意味で本当に有意義だと思います。薬剤師の役割をアピールしたり、薬剤師への意見をお聞きしたりもできます。私は2022年に設立された「日本アカデミック・ディテーリング研究会」の活動にも関わっています。アカデミックディテーリングとは簡単に言うと、エビデンスに基づいた適正な医薬品の使い方を、医師などに伝える活動です。JHHCAを通して、こうした活動も伝えていけたらと思います。

JHHCAで、まずは団体幹部がつながり、そのつながりを、専門職以外の人も含めて在宅の現場で活躍する一人ひとりのつながりまで広げていけるといいですね。

フォーライフ薬局でともに働く高裕之薬剤師、小林久子薬剤師と一緒に
フォーライフ薬局でともに働く高裕之薬剤師、小林久子薬剤師と一緒に

取材・文/廣石裕子