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FACE OF JHHCA 第20回 大竹尊典さん

公益財団法人 日本訪問看護財団

大竹尊典さん

看護師・保健師/公益財団法人 日本訪問看護財団 事務局次長

 

【PROFILE】

おおたけ・たかのり

2005年、宮城大学看護学部卒業と同時に上京し、東京医科歯科大学医学部附属病院(現東京科学大学病院)に入職。消化器外科、ハイケアユニット(HCU)、膠原病・血液内科病棟勤務(最終役職:副看護師長)などを経験。2016年、東京都立大学大学院(看護管理学専攻)に進学し、研究と併行して同大健康福祉学部看護学科基礎看護学領域非常勤講師を務める。2017年から約4年間、看護系技官として厚生労働省に勤務し、2021年度介護報酬改定などに携わる。民間営利法人で訪問看護、施設管理などに従事した後、2023年7月、公益財団法人日本訪問看護財団に入職。2024年7月より現職。


病棟看護師、 厚労省技官など豊かな経験生かし訪問看護師支援に全力

「看護師には大きな可能性がある」と力強く語る大竹さん
「看護師には大きな可能性がある」と力強く語る大竹さん

2024年に財団設立30周年を迎えた日本訪問看護財団の事務局次長として、多忙な日々を送る大竹尊典さん。2005年、男性看護師が少しずつ増え始めた時代に看護師資格を取得して以降、大学病院の病棟看護師、厚生労働省の看護系技官、訪問看護師など幅広い経験を重ねてきた。「本当に多彩な現場を経験させていただきましたが、看護師の本懐を胸に、常に人のため世のために価値あることを考えてきたという意味では一貫していたと思います」と、この20年間を振り返る。そして、「看護師とは大きな可能性を秘めた職種です。もっともっと視野を広げて社会をより良い方向に変えていきましょう」と、全国の看護師仲間に呼びかける。


制度に左右される医療現場の実態を知り厚労省技官を志す

――日本訪問看護財団にお入りになる前に、さまざまな職場を経験されていますね。

大竹 私は東北の出身で、2005年に宮城大学看護学部を卒業しました。当時、男性看護師は増え始めていたものの、まだまだ就業場所や領域に偏りがあり、東北をはじめ地方では特に、同じ看護師でも男性の場合はICUや精神科に配属される傾向がありました。しかし私は、学生時代の実習で胃がんの患者さんを担当したことをきっかけに、急性期の患者さんの治療過程をしっかり支えるような看護をしたいと思っていました。そんな看護を実践できる病院を探したときに、ご縁があったのが東京医科歯科大学医学部附属病院(現東京科学大学病院)でした。最初は消化器外科病棟、次にHCU、さらに膠原病・血液内科病棟などに勤務。2016年まで在籍し、最後の3年間は病棟の副看護師長も務め、病院全体の教育委員会のメンバーとしても活動しました。

10年以上勤めた職場を離れる決意をしたのは、女性看護師たちを支える仕事をしたいと思うようになったからです。というのも、看護師の大半を占める女性たちは、結婚、出産、子育てなどのライフイベントによって自分の仕事が大きく左右されてしまうということが、同僚たちを見ていてよくわかったのです。退職を余儀なくされたり、大変な苦労をしながら夜勤も含めて過酷な仕事を続けている姿が入職3年目頃からとても気になるようになっていました。

なんとかそうした現状を改善したい、そのためには、マネジメントに関する知識を深めることが必要だと思いました。そこで、看護師として一定の経験を積んだタイミングで東京都立大学大学院に進学し、看護管理学を学んで修士号を取得。大学院在学中は、大学病院で人材育成に取り組んだ経験を買われ、1、2年生の実習や演習を指導する非常勤講師も務めました。

 

――そうした経験が、厚生労働省技官への道につながったのでしょうか。

大竹 看護系技官として厚生労働省で働くことは、大学院に進学する時点で選択肢の1つとして考えていました。私が看護師になって2年目、2006年の診療報酬改定で新たに導入された7:1看護(急性期一般入院料1)が政策に興味を持つきっかけになりました。当時、7:1入院基本料を算定するため、全国で争奪戦が起こるほど看護師の採用が加速し、現場に新人看護師が溢れるような状況になっていました。私のいた職場でも一時、新人の比率が非常に高くなり、そのなかで急性期医療を回すのにとても苦労しました。このとき、医療現場は制度に大きく左右されるということを痛感したのです。と同時に、制度は現場の意見を反映したものであってほしいとも感じました。そんな経験から、政策に関わる仕事も視野に入れるようになっていたので、大学院修了後に厚労省に入ったのは、自分のなかでは志向的なキャリア選択でした。入職前には、医療政策について学ぶことのできる学会などに積極的に参加するなど準備も重ねました。

厚労省ではまず健康局健康課保健指導室に配属され、保健師の活動推進のために力を注ぎました。次に配属されたのが、介護報酬上の訪問看護制度を所管している老健局老人保健課です。一時期、保険局医療課も併任し、2020年度の診療報酬改定にも一部ですが関わらせていただきました。老人保健課では、2021年度の介護報酬改定などの業務に携わりました。このときは、役人の立場で多くの訪問看護師の声を聞き、現状を把握しながら、訪問看護の活動をもっと充実させること、現場の取り組みを良い形で国民の皆さんに還元することなどを目指し、各種調査研究事業などに取り組みました。

 

――新型コロナウイルス感染症の流行は、大竹さんが厚労省にいらした時期と重なりますね。

大竹 忘れもしない2020年初頭、中国・武漢で新型コロナウイルス感染症が発生したとの報告を受け、私たち看護系技官は、日本人の帰国に際してのPCR検査や検査結果が出るまでの停留場所での現場支援、その後の緊急事態宣言下での帰国者の検査・隔離対策、介護職員の感染対策手引きの作成など、とにかくいろいろなことをやりました。厚労省ではわずか数年間に、これ以上できないと言っても過言ではないほど多くの経験をさせていただきました。


人のため世のために価値あることに真摯に取り組む

――厚労省退職後にはどんな展開があったのですか。

大竹 地域で働くことに強い興味が出てきまして、訪問看護事業に取り組んでいる民間営利法人に就職し、しばらくの間、訪問看護師として働きました。最終的には、経験を買われてその法人が運営する施設の統括責任者も務めました。

 

――訪問看護師の仕事はどうでしたか。

大竹 やりがいを感じましたが、一種のジレンマもありました。言うまでもなく、訪問看護は在宅療養を支えるための重要な社会資源・制度です。しかし、民間の事業所では訪問看護の必要性と利益をセットで考えなければならず、自分が必要だと思う看護が、法人の利益と必ずしも一致しないといった状況が生じます。これは当たり前のことですし、足りない部分を他の職種に補っていただけるように調整するのもまた看護師の役割なのですが、やはり、良い看護を提供したいと思えば思うほど、それが十分できなくて苦しい思いをするという現実が、確かにあるんですね。厚労省時代に、多くの訪問看護師から聞いた現実はこれかと、痛感させられる思いでした。訪問看護師は、制度上の看護の仕事には収まりきらない活動をきめ細かく行っています。そういう細かな部分に光を当てることも大事だと感じました。

結局、この法人にいたのは2年余りでした。私は目の前の仕事に強い責任を感じてかなり真剣に取り組むタイプで、自分が情熱を持って取り組めるかを大事にしています。厚労省を辞める時も、民間営利法人を辞める時も同じで、情熱を持ってお仕事をされる方にバトンを引き継ぐべきと考えていますし、自分自身さらにやりがいを持って臨める仕事を求めていました。

 

――さまざまな職場を経験し、得るものも大きかったのではないですか。

大竹 まずは、一緒に仕事をしてくださった多くの方々の存在が大きいです。また、患者さん、利用者さんに直接関わる仕事から、患者さんをケアする看護師の皆さんを支える仕事、緊急事態に対応する仕事など、どの仕事に取り組むときも、「誰かのため」という意識が原動力になっていることに気づきました。人のため、世の中のために価値のあることに真摯に取り組むことの大切さを実感できたのは大きな収穫です。

 

――そして、気持ちを新たに日本訪問看護財団に入られたのですね。

大竹 次にどんな仕事をすべきか考えていたときに、たまたまお声掛けいただいたのが日本訪問看護財団でした。当財団は、地域包括ケア実現のために、訪問看護に関わる人材の育成、事業運営の支援、調査研究、政策提言などを行う団体です。私の仕事は、事務局の次長として全事業を統括すること、DX(デジタルトランスフォーメーション)の導入による業務の効率化など組織内の改革を推進することなど多岐にわたります。しかし、基本的には訪問看護師のため、訪問看護事業所のためにできることを考え、全力で取り組む日々ですから、充実感があります。地域のために一生懸命に仕事をしている訪問看護師を支援することが、地域住民の健康や福祉につながるという意識を強く持って仕事をしています。

日本看護協会ビル(東京都渋谷区)5階のオフィスでデスクワーク
日本看護協会ビル(東京都渋谷区)5階のオフィスでデスクワーク

看護師は自分を成長させてくれる仕事

――ところで、看護師を目指そうと思ったきっかけは何かあったのでしょうか。

大竹 実は私の母が看護職で、私と兄と妹、3人きょうだいを育てながら一生懸命働いてくれていました。その母が、医療は生活のなかにあると言っていたんですね。その人の生活の仕方が病気に現れ、その病気と付き合いながら、どんなふうに生きていくかもまたその人次第なのだ、などといった話をよく聞かされました。そんな母の姿を見ながら、看護の仕事をすることで母自身の人格が磨かれているように感じました。いつしか、看護とは他者の人生に関わりながら、自らも成長できる素晴らしい仕事なのだと思うようになり、自分も看護師を目指すようになったのです。中学時代にはすでに看護師になると決めていました。

 

――20年の経験を経た今、看護師に対するイメージは変わりましたか。

大竹 看護師が人を成長させてくれる仕事だという思いは中学時代と全く変わりません。さらに今では、看護師に限らずエッセンシャルワークに携わる仕事すべてが人の成長につながると確信しています。

 

――充実した日々を送られているなか、仕事以外の時間はどのようにお過ごしでしょうか。

大竹 なるべく家事をするようにしています。共働きで妻は現場の看護師ですから、負担がかかりすぎないように、掃除や洗濯などを頑張っています。一人で自由に使える時間ができたときには、ひたすら動画を見ています。日々、リアルと向き合っているせいでしょうか・・・現実味の全くない異世界もののアニメが好きです(笑)

プライベートのワンカット。休日は家族で過ごすことが多い
プライベートのワンカット。休日は家族で過ごすことが多い

看護師には地域社会を変える力がある!

――日本在宅ケアアライアンス(JHHCA)では何か活動されていますか。

大竹 「連携モデル・事例検証委員会」のメンバーとして活動しています。2012年に国立長寿医療研究センター在宅医療部が事務局となって、全国105カ所で展開した在宅医療連携拠点事業を検証しつつ、新しい在宅医療の連携モデルの開発を目指す委員会です。

 

――JHHCAで活動しながら感じていることなどあったら教えていただけますか。

大竹 専門性を持ち、ご自分の仕事に誇りを持っていらっしゃる多職種の方々や団体が集い、人々がハッピーになれるような在宅医療・ケアのあり方を一緒になって考える場をつくっておられるのは素晴らしいことだと思います。私も微力ながら貢献できたらと思っています。

 

――最後に、全国の看護師の皆さんにメッセージをお願いします。

大竹 私たち看護師にはさまざまな可能性があることをお伝えしたいと思います。看護師の絶対数が足りない状況のなかで、どうしても組織内での役割や、やらなければならない業務内にとどまってしまいがちな現状はあるのですが、医療も介護も生活相談も、療養環境のコーディネートなどまで、対象の生活と療養の双方に活動の幅を広げられる専門職が看護師なのです。看護師の視点は、一人ひとりの患者さんや利用者さんだけでなく、地域全体、あるいは自治体や国の政策などにも生かすことができます。

いろいろな立場で仕事をしている看護師たちが、それぞれの強みを持ち寄って結集したら、ものすごい力になるはずです。ぜひ、これまで以上に視野を広げて、力を合わせていきましょう。看護師が、地域の人々やさまざまな職種を繋げていき、地域を豊かにしていく。そういった大きな可能性を信じて一緒に活動できたらうれしいですし、当財団としても、そういった活動を支援することで、より良い社会づくりを目指していきたいと思います。


医師は病院と在宅をもっと柔軟に

──日本在宅ケアアライアンスには学術委員として関わっていらっしゃいますが、アライアンスへの提言や要望などはありますか。

豊國 以前に比べて在宅医療が広まっているなかで、質を評価してどう高めていくかということは大切です。学術委員会でそうした問題を議論していますが、日本在宅ケアアライアンスに関わる人はそもそも高いモチベーションで在宅医療・ケアを展開されている方なんですね。しかし現実には、制度に則ってさえいればいいと質をあまり考慮していない在宅医療・ケアもあるので、そうした人たちに質向上への意識をどう広げていくかが課題です。

また、最近在宅医療を始める医師が増えてきていますが、研修などを受けずに、開業してはじめて在宅医療に向き合う医師も多いようです。そうした医師が開業前に在宅医療を学べる場があるといいですね。質の高い在宅医療を学んだうえで始めるのです。さらにいうと、病院の医師の多くは在宅医療を知りません。これからは病院医療と在宅医療の溝を埋めていくことも大事です。医師のキャリアのなかで、地域で働いていた医師が病院に戻ったり、あるいはその逆があったりということがあってもいいと思うのです。医学教育とか、研修システムといった問題になりますが、そうした点でも日本在宅ケアアライアンスにはできることがあるのではないかと期待しています。

取材・文/廣石裕子